企業の社会的責任
 
CSR の定義
CSRとは英語による完全記述で Corporate Social Responsibility となります。直訳すれば「企業の社会的責任」となりますが、その定義は簡単ではありません。日本社会でのCSRの定義は、未だ固まっているとは言えません。換言すればまだまだその定義自体に発展の余地を残しており、他者から押し付けられるものでもなく、それぞれの企業が自らのCSRを定義から検討すべき内容でしょう。まずは定義することです。定義が固まれば、そのCSRの実現のための取り組みが問われます。自らが自らを問うのです。
また日本の多くの企業ではBCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)についての取りまとめが遅れています。ICTコンサルティングを行うアルピナ株式会社では、常日頃からお客様企業に対して、BCPの策定を促すのですが、中小企業的な発想の中では、なかなかその策定自体の優先度が高まりません。まずはプロトコル(手順に関する約束事)を決めることです。それに必要な原資は「人間の知恵」だけです。
平時においての中小企業の「企業の社会的責任」は、「中小企業はやれることはやっている。」だけの話であり、有事の際に、「いったいどのようにそれを果たすのか」が問われます。ですから、中小企業におけるCSRとは「BCPをどうしているか」とも換言できます。
 
企業とは何か
CSRの「C」が企業を指し示すのですが、それでは企業とは何なのでしょうか。企業とは最大利潤を追求する経済活動体であり、その上で継続性を加味しながら活動していると言えます。そして「最大利潤」の解釈に関しては、様々な姿があります。
利潤を追求しないが企業と同様な組織であるものも社会には存在しています。公益法人やNPOやNGOがそれであり、「利潤追求無き企業と同様な組織」と言えます。これらは「非営利」が原則となっており、その組織自体の目的も「公益、つまり私益でない」ことが求められ、組織のための営利活動はないことになっています。しかし当然のことながらその組織の活動を維持するための構成員への給与支払いは認められています。公益性が強調されると、その組織は利益を出す体質が無くなり、行政からの補助金による組織維持が当然かのようになってしまう傾向があります。この部分の改革は、何度も試みられていますが、抜本的な成果を挙げることは非常に困難なようです。
「最大利潤」のみを議論するならば、窃盗や強盗、海賊行為など、他者の所有権を不当に侵害するのが、極端な解釈でありますが単純明快です。しかし社会はこのような行為に対して、警察権を行使して抑止します。そして近代国家においてはその警察権の根拠として法律が整備されています。道義的な観点だけでなく、このように実効性の観点からも企業は法律を遵守しながら最大利潤を追求しなければならないことが課題となります。
今日の企業活動においては、企業の目的を完遂するだけでは不充分な状況となっています。まず企業活動の際に関わる全てのステークホルダー(利害関係者)からの要求に対して、適切な意志決定と行動をしなければなりません。またその企業活動の社会へ与える影響にも責任を持たなければなりません。これらのことが「CSR(企業の社会的責任)」と定義できます。
 
CSRを取り巻く世界情勢と地域特性
法学の世界の中では、「経営者たるものは、法令の範囲内において株主の利益を最大化すべき 」というのが、伝統的な「会社法」の考え方と見ています。近年、これに対して「経営者がCSRを考慮することを積極的に認める」方向性の議論が活発化しています。資本と経営の分離が顕著なアングロ・サクソン型の企業では、この立場の区分は重要ですが、企業の殆どが中小企業であり、資本と経営が一体化している日本では、この区分論はごく一部の大企業のものであり、殆ど意味をなしません。つまり日本においては、中小企業オーナーの考え方一つで、全てが決まると言えます。
アングロ・サクソン(特にアメリカ)型の概念と地球規模の世界共通の概念が必ずしも一致しない例を挙げましょう。気候変動枠組条約がCOP13(第13回締約国会議:2007年)においてオーストラリアが調印・批准したことで、アメリカを除いて、地球規模の環境保全の価値観が共有されるに至ったことが鮮明になりました。この「環境保全」の観点が、我が国のCSRでは重視されていますが、アングロ・サクソン型ではアメリカの態度から推測できるようにそれほどでもありません。ブッシュ政権のようなあからさまな独善性を、オバマ政権は修正していますが、やはり気候変動枠組条約に対するアメリカの姿勢は独特な感が残ります。
アメリカでは、「企業は資本家のもの」とする考え方が徹底されており、「資本家=株主」への説明責任という観点から、企業のCSRは理解されています。しかしエンロン事件、ワールドコム事件のように、CSRは企業価値の向上(株式等の資産時価総額の向上)の前に歪められます。また閣僚や高級官僚が巨大企業の経営陣を兼職するなど、アメリカの特徴的な猟官主義は、政財界のあからさまな癒着構造を呈しています。ブッシュ政権はアジア諸国の経済体制を「Crony Capitalism (縁故重視型資本主義)」と非難していましたが、アジア諸国を非難できるほどの、システムの優位性があるとは到底考えられません。
ヨーロッパでは、企業イメージアップを目的とする小手先の企業活動は、CSRとしては消費者から評価されていません。それはCSRの定義が「社会の持続的発展に対して企業が税金以外の必要なコストを払うこと」「社会の未来に対する投資として必要な企業活動を行うこと」等の明確な概念が確立しているからです。そしてこのような高いレベルのCSRが根付いているのは、その地域の市民の意識の高さと、様々な基準策定を牽引するEUの役割が大きいと考えられます。また後からEU加盟を果たしたり、EU加盟を模索する東欧諸国では、CSRはEU水準のガバナンスやコンプライアンスの問題として理解されています。
日本におけるCSRへの取り組みは、意外にも諸外国よりかなり早期に行われています。1970年代から「企業の社会的責任」という文言は散見されるようになりますが、その文脈は「企業の持続的発展」を目標とする中での「イメージ形成」でした。それ故、「慈善活動」や「メセナ」等の形としてCSRが現れていました。このような活動には原資が必要であり、そのような原資が出せるのは大企業のみであるとして、その当時のCSR的な活動は「大企業だけが行う企業活動の一形態」と認識されていました。近年では「企業不祥事」への対策として、ガバナンスやコンプライアンスと同様の文脈でCSRが語られる傾向が顕著となり、東欧型のCSRと共通する概念が、中小企業まで包含する形で形成されつつあります。更にそこに、「エコロジー」「地球温暖化対策」「自然環境との調和」等のキーワードが加わり、北欧型のCSRへの発展の兆しが顕著となってきています。
 
アルピナ株式会社のCSR
我が国の産業を育成することと、国際ルールを守ることの両立ができない場合があります。国内農業と GATT ~ WTO ~ TPP 等は象徴的な事例でしょう。気候変動枠組条約についても発展途上国ではそのような事例と言えるでしょう。この様な場合、国家としてどのような選択をするのか、その決定は難しく、またその決定が万人に支持されることはまず無いでしょう。近代国家が法治国家として立脚するように求められて久しいのですが、法律が万人に対して完璧ではない事例は枚挙にいとまがありません。
アルピナ株式会社のCSRの概念では、CSRとコンプライアンスは切り離して考えるようにしています。これは決して法令を軽視するとの意味ではありません。東日本大震災のような発災時において、法令を破った方が相対的に良い結果を招く場合があったでしょう。そのようなことは容易に想像がつきます。そもそも法律が万人に対して完璧でないことは、国家の物品調達制度を見てもはっきりわかります。また現実の状況では、法律で事前想定していない事態も起こり得るのです。このような安全保障上の概念は、一般的なコンプライアンスの概念よりも更に上位に位置すると、アルピナ株式会社では規定しています。顧客企業有事に対して、どのように顧客企業に事前準備させるか、またその支援活動自体が、アルピナ株式会社のCSRであると言えます。
またアルピナ株式会社の重要な側面である ICT 業務は、情報通信機器の変遷に歩調を合わせ、コストと耐久性と継続性を考慮し続けねばなりません。殆どの場合、これらの内容はBCPに直結しています。多くの中小企業は拠点性が企業体としての生命線であり、地域全体が全壊滅する状態では、その時点でBCPも何も無くなります。全壊滅する状態ではない部分的な被害が生じている時、その場合にBCPがどのように機能するかであり、そこにBCPの現実性が議論されるべきなのです。
「有事の際に、顧客企業の事業継続を、システムの側面から図る。」それがアルピナ株式会社のCSRです。
 
 
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