原氏の生実城址
原胤貞(たねさだ)が南生実より移って、北生実に築城したのが何時であったかは必ずしもはっきりしていないが、天文8年(1539)といわれている。永禄3年頃(1560)には、生実と臼井を本拠とし、生実城を出城として、主家千葉氏をしのぐ勢力となっていた。ところが当時安房の里見義尭の勢力が下総にのびてくるのに対して頼りとしていた後北条氏の力がふるわぬため、原胤貞は上杉景虎(後の謙信)に接近しようとしていた。けれどもそのかいもなく永禄4年には、里見義尭の命を受けた正木大膳亮時茂によって生実城は奪われてしまった。原胤貞が生実城を取り返すのは翌永禄5年のことである。

当時原氏の支城となっていた生実城も後北条氏の没落と共に天正18年8月秀吉の手の者によって落とされてしまった。

天正18年に生実に入った徳川氏の旗本西郷氏が生実のどこに4代にわたって居を構えたかは定かでないが、寛永年間にいたり、大名森川氏は旧生実城跡に陣屋を構えたのである。原氏と森川氏が使っているので、城の構造は錯雑になってしまい、はっきりとは分からない。

城跡の主要部は字本城・字旧邸・字宮脇・字番後台からなっていて、字旧邸は森川氏の陣屋跡である。
 

 
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